邪悪なもの

今日こそ私はアレと向き合わなければならない。

そう、職場の上履きである。

1日8時間(ということになっているが実際は前残業もあるから9時間)私の足の代わりに汚れを受け続けている。無数のほこり、カビや菌、ありとあらゆる邪悪なるものにさらされ続けているのだ。

もはや何代目かわからないが、特に今ものとは長い付き合いになっている。2018年4月に1995円で購入してから早2年以上。

かかとにあったアディダスのロゴは片方取れているし、かかとの履き口はよれで見るかげもない、足の甲の網目状になった部分は黒くすすけたようになっているし、つま先部分は無数の亀裂が入っている。白く気高い、清潔感を漂わせていた新品のころが思い出せないみじめな姿だ。

私は職場の下駄箱で、邪悪なるものにまみれた上履きをビニール袋に包みしっかりと口を閉じ自宅へと持ち帰った。一目散にベランダに行く。季節は真夏である。一日中、日の光を浴びて熱を吸収し続けたベランダは異様な熱気に包まれている。顔から汗が吹き出す。

青色のポリバケツに洗濯用液体洗剤を投入するとホースから荒れ狂う水をバケツに叩きつける。あわ、あわ、あわ。

青色のポリバケツが真っ白な泡で満たされる。

何という清潔感と安心感。これだけの泡があればどんな穢れたものでもたちどころに白くなるに違いない。

泡の中に上履きを投入する。あわに包まれる上履き。心なしか嬉しそうな気がする。

しばらく眺めてから引き上げる。水音とともに姿をあらわしたそれは泡まみれで何が何だかわからない。

それに左手を突っ込み、右手のたわしで擦る。

泡が黒くなるかもしれないと思っていたがそんなこともない。徐々に泡がへたって、邪悪なものが見えてくる。つま先についた何か茶色の汚れ、黒くなった縫い目部分。負けずに擦る。擦る。擦る。

安物のたわしの茶色の毛が落ちる。灼熱の中汗が滴り落ちる。少しずつ白さを取り戻していく。

2年前、真っ白だった面影が見える。

泡を流し、きれいな水ですすぐ。すすぐ。

水と気泡が踊り、泡も汚れも流れ去っていく。

だいぶ白さを取り戻した。つま先部分の無数のひび割れは治らないが、足の甲や履き口の網目状の部分が明らかに白くなっている。新品になったとはとても言えないが、数十分前で、1年くらい若返った気がする。

靴用ハンガーに吊るす。上履きから水が滴りキラキラ光っていた。まるで私と上履きを祝福しているようだ。

邪悪なるものは消え去った。ここにあるのはただの上履きだ。邪悪な上履きなどどこにもない。。

翌日、意気揚々と靴用ハンガーごと回収した。真夏のベランダだ。からっからに乾いているに違いない

思ったより乾いていない。というか明らかに濡れている。これは猛暑を当てにしすぎたか。日頃、猛威を振るっている割に実に役に立たない猛暑である。そしてあんまり白くない。というかはっきり言って薄汚れ感半端ない。おかしい。洗った瞬間はあんなに真っ白だったのに。あれは私だけが見た幻影だったのだろうか。一度、邪悪なものに染められたら2度と戻れないというのだろうか。

新品には戻らない。

昔、清掃アルバイトをしたとき、大先輩から言われた言葉を思い出す。どれだけきれいに磨いたところで新品には戻らない。当然のことだ。

明日からもまた、邪悪なものをまとった靴を履き、数々の困難と闘うことだろう。